2022年12月14日から20日に伊勢丹浦和店6階 ザ・ステージ #6 アートでの個展を控える斎藤理絵さんに、福福堂の編集部がインタビューをしました。
それでは斎藤理絵さんのインタビューをどうぞお楽しみください!
ある時、河童が降ってきた
――斎藤さんといえば妖怪や人魚を描く画家という印象がありますが、描くきっかけになったエピソードを教えてください。
大学に入学する前は受験デッサンという『目の前のものを写実的に描く』ということばかりをやっていました。ですので『自分の描きたいものを描く』という状況にはありませんでした。
大学に行ってから先生に『自分の描きたいものを描きなさい』と言われた時、『私が描きたいものはなんだろう…?』と、ものすごく悩みました。
でもある日突然、河童の上にお寿司がのっているイメージが頭の中に降ってきたんです。
ものすごく変なイメージだからはじめは無視をしていたのですが、日に日に心がそれで占められていきました。
――なんなんだ!?これはと (笑)
その頃はよく風景画を描いていたのですが、頭の中の河童のイメ―ジが鮮明すぎてしまい大学の課題に手をつけられなくなってしまいました。『もうしょうがない』と諦めた私は河童を描くことにしました。
しかし河童が完成しても、なぜこの河童が頭の中に出てきたのか意味が全く分かりませんでした。しかし、『私にはきっと必要なものなんだろう』と感じました。
最初の内は河童の頭にかき氷を乗せたり、お寿司のネタを変えたりといろんな種類の河童を描きました。どこにも見せずに一人で楽しんでいました。
河童を描いて2週間後、浅草で妖怪専門の絵画展が開催されるというので出品することにしました。
そこは妖怪好きな方たちばかりで、私の河童も受け入れられました。
私の日本画の作品が初めて売れたは、渋谷の東急ハンズでの展覧会でした。日本画で描いた河童の絵がSM号サイズ(22.7cm×15.8cm)で4,000円でした。
当時は職業画家としての適正な見積もりというものがまだ理解できていませんでした。しかし初めて作品が売れた時の思い出は糧となっています。
初恋は『ゲゲゲの鬼太郎』
――妖怪は元々お好きだったのでしょうか?
はい、好きでした。
ただ河童を描くまでは、妖怪を描こうと思っていませんでした。
幼い頃ゲゲゲの鬼太郎がすごく好きで、鬼太郎が初恋の人でした。ねずみ男が鬼太郎にどんなにひどいことをしてもあまり意に介さず怒らなかった、というところに魅力を感じていました。
――妖怪だから好きだったとのではなく、鬼太郎の大らかさに惹かれたのですね。
はい。私はもともと風景画を描いていたので、妖怪が特別好きというわけではなかったんです。
――なるほど。河童の他に描きたい題材はありましたか?
河童の絵が売れたそのあとに、突然人魚が描きたくなりました。こちらもある日突然に降ってきたイメージでした。それも洋風の人魚ではなく、和風の人魚が。
頭の中の小さな窓に現れた妖怪たち
頭に降ってきた人魚を描きました。
この作品をぜひ展示したいと思い、今度は東京都美術館で開催している『現代童画展』という公募展に応募してみました。そこで初めて人魚の絵が入選しました。
私の頭の中に現れた絵画を多くの人に見てもらえることが嬉しかったです。それ以来、『現代童画展』で作品を発表するようになりました。
――初の公募展で初入選。素晴らしいですね。
はい、人魚が入選したので私も自信がつきました。和風の人魚は誰も見たことがないので、それがきっと公募展での強さになったのだと思います。
今思い返すと画家の節目に河童と人魚が突然出てきて、私を押し上げてくれたのだなあと感じます。
ある日突然出てきて描かないと集中力が散漫になってしまい日常生活に支障をきたします。それはまるでテレビ番組の『小さな窓』(註 ワイプ。映像を流している時に画面の隅に別枠で映る映像)のような感じです。現実でもそのような感じで常に頭の中にもう一つの窓ができてしまい、閉じたくても閉じられなくてとても邪魔な感じです。でもその時頭の中に出てきたものを描くと画家としての実績が上がってきましたので、私にとってきっと意味のあることだと思います。
すごく奇妙な話で申し訳ないのですが。
――自由に描いていた幼い頃の斎藤先生の姿をつい思い出してしまいました。ところで先生は、学生の頃かアートオークションにも挑戦されていたと聞きました。
はい。浪人していた時間をとり戻したくて、必死にいろんなことにチャレンジしました。その中のひとつがアートオークションへの参加でした。
大学が京都にあったのでAGホールディングスが運営している京都学生アートオークションに応募することができました。
そして私の作品がそこで選ばれ、オークションデビューをしました。
ただオークションでのスピーチは緊張でさんざんなものでした。みんなの前で話さないといけない緊張から頭が真っ白になってしまい、ほとんど何を話したのか覚えていません…。
それでも入札してくださった方がいらっしゃいました。それは自分の中で大きな自信になりました。
浪人時代は本心を押し殺して描いていた
――斎藤先生の作品は、見たことがない題材の組み合わせが多いのでいつも楽しく拝見しております。
ありがとうございます。私は花を見てキレイだとは思いますがそこで描きたいとはなりません。私にしか描けない絵を目指しておりますので、意外な組み合わせを見つけたときに喜びを感じます。
学生の頃は俵屋宗達の『風神雷神図屏風』を見て、この世にない生き物が鮮明に描かれていることに感動したのを覚えています。
――先生の作品もユーモアのある作品が多くありますね。
ありがとうございます。その時の本心が作品の中に出てきてしまうみたいです。
たとえば私が描いた、まな板の上で優雅にくつろいでいる鯉の作品があります。
忙しいときに出てきた本心
その時は展覧会のスケジュールがみっちりつまって忙しい時でした。絵の締め切りがあり他の作品を描いていたのですが、突然頭の中の小さな窓に『まな板の上でくつろいでいる鯉』がでてきてしまったのです。
「私がこんなに忙しいのに何食わぬ顔でくつろいでいるのがとても腹立たしい!」
と、母に出てきた鯉を見せました。
そうしたら
「これはいいじゃん!作品にしちゃいなよ」
と言われて描いたのです。
――その時の『くつろぎたい』という声が描かれていたのですね。
そうですね。私が疲れて休みたいと思っていたからあの鯉の作品が生まれてきたのだなと思います。本心を無視していると逆に、私の頭の中の小さな窓から強く主張してくるようです (笑)
浪人時代は自分の絵を描くのであれば1枚でもデッサンを描かなければと思っており、その時は本心を押し殺して描いていました。しかし最近はようやく自分の本心を描けるようになったなあと感じます。
――絵を見る人に伝えたいことはありますか?
自分の中の気持ちを絵にしていますので特に明確に伝えたいことはありませんが、本心を隠していた自分と同じ悩みを抱えている方が、『常識という呪縛を解く』助けとなればと思います。
『自分自身を表現することは素晴らしい』ということを伝えられる人になりたいです。
イマジネーションで描いた作品は分かってもらえるまで時間はかかりますが、私自身のイメージの力を信じて進みたいと思っています。
『私が目指しているのは竜宮城だったんだ!』
――先生の絵には水や川にまつわるモチーフがよく描かれていますね。
そうですね。
それも謎解きをするような形なのですが、今まで浮かんできたモチーフをつなぎ合わせてみたら全て水の生き物でしたね。
最近、『竜宮城を背負った亀』がやってきました。
その時、
「私が目指しているのは竜宮城だったんだ!」
と気づきました。
――12月に伊勢丹浦和店で開催される個展のテーマは『令和の竜宮城』ですね。
そうです。
私は描く題材は、河童や人魚など妖怪に近い存在から龍や鳳凰といった神様に近い存在まで多様です。ここからここまでが善い存在でここからが妖怪、という区切りは人間の価値観で決めたものであって本来は善悪の判断は無くて良いのではないかと思っています。
悪い存在、善い存在は国や宗教、慣習などで簡単に変わってしまいます。人間にとって有益な存在だけが神として崇拝され、人間の美意識に合わない気味が悪いものは妖怪として扱われているのは、なんだか釈然としないんです。
そういった想像上の生き物を善悪の判断なく皆一緒に受け入れてくれる場所が『竜宮城』であったらいいなと思って制作しています。
ゲゲゲの鬼太郎のような人間と妖怪が気軽に行き来するような、そんな世界が理想です。
――そうでした、ゲゲゲの鬼太郎は斎藤先生にとって初恋でしたものね。
そうですね(笑)
竜宮城は地上の時間と違う時間が流れる不思議な場所というイメージがあります。ですから私は昔話や伝説に現代のモチーフ取り入れた作品を描いています。時を超える先人の知恵も賢人の知恵を活かすことができます。
江戸時代の文献にも人魚は登場しますが、錦鯉の人魚は出てきません。錦鯉の発祥は江戸時代の中頃に始まったといわれ、大正、昭和時代に一般的に知られるようになったため江戸時代の絵師には描くことが出来なかったんです。江戸時代に錦鯉が一般化していたら、浮世絵師は錦鯉をいっぱい描いていたでしょうね(笑)
『錦鯉の人魚』は令和に生きている私だから描けるモチーフだと思います。昔の人の遺した素晴らしい文献を基にしつつも、私なりの解釈を加えて現代風にアップデートした作品を発表したい。そう思っています。
――現代風にアップデートした『令和の竜宮城』ですね。
そうですね。
いま私はこれまでの集大成という形で『令和の竜宮城』を思う存分描いています。
個展会場では竜宮城にいる人魚や亀、河童や鯉など珍しい生き物たちがユーモアたっぷりにあなたに語りかけます。ご来場の際には彼らの声に耳を傾け、令和の竜宮城を楽しんでいただけたらうれしいです。
――個展を楽しみにしています。先生今日はありがとうございました!
1枚の絵が完成するまで
日本画家 斎藤理絵さんにインタビュー
日本画といえば、独特の絵の具や画材を使って描くイメージがありますね。今回は日本画家の斉藤理絵さんに1枚の絵が完成するまでの流れを聞きます!
作品の構想はひらめき
作品を描く段階で一番大切にしていることは” ひらめき ”です。
下絵を描いてモチーフの由来や伝承について調べて情報を肉付けしていき描きたいものの下絵を完成させます。そのあと資料を集めて取材をします。
頭の中のイメージを下絵に起こす
下絵は夜の時間にして、本描きは朝の時間に制作することが多いです。イマジネーションが働く夜に下絵を描くことで斬新なアイディアが生まれるような気がするからです。そして本描きの彩色などは自然光と蛍光灯で色が違って見えてしまいますのでなるべく自然光で描くようにしています。ただし締め切りが近いときは本描きでも深夜まで描いています (笑)

呼吸は作品の命
筆で線を描くときは書道と同じで失敗ができませんので呼吸をとても大事にしています。
息を吐きながら筆を動かすと滑らかな線が引けるますので、線を引くときに合わせて呼吸をしています。普段呼吸を意識することで滑らかな線がひけますが、体調がすぐれないときは呼吸も乱れますので筆を持つと線も歪んでしまいます。そこで今日の自分の体調に気が付くことがあります。

支持体の使い分け
私は日本画の画材である水干絵具と岩絵の具を使い、膠で溶いて描いています。支持体は和紙とアートクロスを使っています。墨の線が残る作品は風合いを生かしたいので和紙を使います。たくさん絵具を使う時や金箔を使うときは頑丈なアートクロス(註 日本画の専門店が製造するポリエステルの布に紙で裏打ちをした支持体)に描いています。
(取材・福福堂編集部)
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