画家 斎藤理絵さん インタビュー〈前編〉

    人気日本画家、斎藤理絵さんに福福堂の編集部がインタビューをしました。それでは斎藤理絵さんのインタービューをどうぞお楽しみください!

斉藤理絵さんが2度めの個展を開催中!会期2023年11月29日~12月5日。

画家 斎藤理絵さん インタビュー〈前編〉

先生の言うことは聞かず、心のままに描く!

    ――今日はインタビューよろしくお願いします。さっそくですが斎藤先生と『絵』との出会いについてお聞かせください。

    今日はよろしくお願いします。

    母が絵画教室に通っていたので私も三歳くらいから母の真似をして描くようになりました。

お台場に出かけてご機嫌な幼少時代の斎藤さん

    ――その時はどんなものを描いていたのでしょうか?

    小さい頃は子供らしい絵を描いていたようです。おにぎりと栗が手をつないでニコニコしている絵など。

 その一方で子供にしては色使いがとても暗かったようで、両親や先生からはちょっと心配をされていたようです(笑)

幼いころに描いた真っ黒な夜のチューリップ

    それから小学校に入る頃になると明るい絵が増えたようです。母と一緒に家で描くことが増えたことが理由なのではないかなと思います。

    そういえば幼い頃ゲゲゲの鬼太郎がすごく好きで、鬼太郎が初恋の人でした。ねずみ男が鬼太郎にどんなにひどいことをしてもあまり意に介さず怒らなかった。そんなところに魅力を感じていました。

    ――大らかな鬼太郎に惹かれたのですね。

    そうですね(笑)

    それから小学4年生になると母と同じ絵画教室で水彩画を学びはじめました。

    モチーフは風景や静物画がほとんどです。先生が海外に行かれる方でイタリア、フランス、モナコなどの写真を渡されて描くように言われました。

    私は『この国はどこにあるか分からないから描きたくない!』と言って目の前にないひまわりなどを描いていました。

    ――意思表示のはっきりした子だったのですね。

    今思えば結構天邪鬼な性格だったのかもしれないですね。人から『これを描きなさい』と言われると逆に描く気にならなくて… (笑) 先生も相当困ったようです。『この子は全然言うこと聞かない』と。

    しかし教室で母が一生懸命描いている姿を見ると私も同じものを描いてみたいという気になり、絵画教室は結局中学二年生まで続けました。

先生に説き伏せられて描いた花と花瓶の絵

画家はユニコーンのような存在

    中学二年生で進路に迷ったときに『絵を描くのが好き』という自覚があったので、高校の美術科へ進もうと思いました。その時は絵を描くことを仕事にしたいとは思っていましたが、『画家になろう』とはまだ思っていませんでした。

    なぜなら自分の中では、画家というものは『ユニコーン』みたいな存在だったからです。私にとっては現実感がないという感じでした。

    絵とは別に職業を持っていて余暇に画家の活動をする。そしていつの日か認められて画家になる、というキャリアを思い描いていました。

    ――『ユニコーンみたいな人』という表現が素敵ですね。

    はい。現実にいる馬に角が生えている生き物も現実にいそうなのに、実際はいない。それが私の中の画家でした。

     中学二年生で絵画教室を辞め、受験予備校に通い始めました。

    その時は『美大を出てデザインの仕事に就けたらいいな』とは考えていましたが、『画家になろう』とはまだ考えていなかったと思います。

    ところがその受験予備校で出会った同級生の女の子から『自分の親戚に画家がいる』と聞き、実際に絵を描くことで生計を立てている人がいることを知りました。

高校の美術科を受験するために予備校に通っていた頃

きらきらと輝く日本画

    最初に通った絵画教室で将来絵の仕事をしてみたいと相談してみたら、とりあえず東京藝大(註 東京藝術大学。1887年創立。日本で唯一の国立の総合芸術大学。国内の美大では最高峰。)

    のデザイン科を勧められました。そこで地元の埼玉県内の中から東京藝大に進学実績のある高校を探し受験しました。

    ――美術系の高校に進んだんですね。

    はい。高校入学後に東京都美術館で開催されていた日展を見に行きました。そこで宝石のようにきらきらと美しく輝く絵画と出会いました。

    「水彩画のような色だけど水彩画ではないし、油彩画とも違う。これは一体なんだろう?キャプションに日本画と書いてあるぞ。日本画…日本にいるから日本で描く絵はすべて日本画なのでは?」

    などと思いましたが、私はそこで初めて日本画というジャンルに興味を持ち調べてみることにしました。

    日本画は日本で昔から伝わる技法で、岩絵の具や水干絵具、墨や膠を使って描かれているということがわかりました。

    それまではクレヨンか水彩絵の具をチューブから出して描くことしか知らなかった私は衝撃を受けました。

日本画を知るきっかけになった東京都美術館。のちに自分が展示する
側になるとは高校生の時には思いもしなかった。

6年もの浪人生活

    高校3年生となりました。その年の受験を含めて私は7回も東京藝大を受験しました。東京藝大の受験において多浪生(註 複数年浪人をしている人。藝大浪人の多浪生は少なくない)というものは珍しくはないのですが、さすがに6年間の浪人生活は大変で、来る日も来る日もデッサンを描いて過ごしていました。

浪人時代に描いたマルスのデッサン

    ――美大受験では多くの方が苦労されていますよね…。

    はい。

    今思えばその時は、『画家になるには東京藝大に行かなければならない』という強迫観念が私の中にあったのかもしれません。6年間の浪人時代、アルバイトをして予備校に通うお金を稼いでいたのですが社会的にきちんとした職歴がないことや早く受験に合格しなければという焦りで電車に乗れなくなったり、狭いところが怖くなったりと色々精神的に参っていました。

    受験7回目の時に『これはもしかしたら受からないのではないか』という心境に至りました。

    でも私は絵の道にどうしても進みたかったので、23歳の時に京都芸術大学の通信教育課程への入学を決めることを決意いたしました。

画家というツチノコはいた!?

    ――京都芸術大学ではどんな勉強をされたのでしょう。

    大学では10代から70代くらいまでの様々な年代の方が熱心に絵の勉強をしてらっしゃいました。それを見て私も病んでいた心が少しずつ回復していきました。

    大学では絵の技法をとても詳しく教わることができました。

    私は大学で技法の他に学びたいことがありました。それは、絵のキュレーション(註 展覧会の企画・運営、専門的な知識に基づく研究を行う仕事)やブランディング、市場の話、絵で食べていく方法です。しかし、『画家になる方法』、『絵を売る方法』を学校で教わることはありませんでした。

    ――そうでしたか。

    ですから私は自力でインターネットで調べることにしました。

    そしてGUAMS(註 Gallery

    Uehara Art Management Studio。講師:與倉豪 主催:福福堂。2020年まで開催されていたプロの画家育成講座)という西洋型のアートマネジメントを学ぶ講座を見つけました。

    ――まだGUAMSがあった頃のことですね。

    はい。

    ちょうどGUAMSを卒業し活躍中の若手画家たちが松屋銀座でアートフェアが開催しているというので見に行くことにしました。その展覧会場で私とほとんど年齢が変わらない画家たちが絵に値段をつけて売っている光景を初めて目の当たりにしました。

    私は、『美術系の仕事に就きたい』のではなく、『画家になりたい』という自分自身の本当の気持ちにそこで気づきました。24歳の時でした。

    ――そこでGUAMSに入ったのですね。

    はい。実践の現場を見て徐々に『画家』という職業への実感が湧いてきました。

    今まで『ツチノコはいません』と言われていたのが、『ツチノコはいました』という証拠を出されたような衝撃を受けました (笑)

    GUAMSを受講してから1年間は公募展などの活動をしていましたが、28歳の時にようやくGUAMS講師で細密ペン画家の與倉豪さんから百貨店での企画展に声をかけてもらえました。

    そこから徐々に全国の百貨店の企画画廊に出品する機会が増え、各地で作品を迎えてくださるお客様が出来ました。

百貨店の企画画廊で活躍する斎藤理絵さん
斉藤理絵さんが2度めの個展を開催中!会期2023年11月29日~12月5日。

→インタビュー後編へ続きます

斎藤 理絵さんのプロフィール

斎藤 理絵 RIE SAITO

1990 東京都北区生まれ
2014 京都造形芸術大学 通信教育部入学
2016 第33回FUKUIサムホール美術展 入選
2016 第11回月のアート展 入選 (けいはんな記念公園内ギャラリー月の庭)
2017 東急田園都市線27駅の絵画展~27車窓物語~ 東急百貨店 たまプラーザ店
2017 東アジア文化都市 2017 京都 パートナーシップ事業「アジア回廊 現代美術部門」特別連携事業 「京都学生アートオークション」 入選
2017 第43回現代童画展 入選 (東京都美術館)
2018 アジアデザイン・アートエキシビジョン プノンペン(カンボジアプノンペン王立大学 絆ホール)
2018 見参ーKENZAN-(東京芸術劇場)
2018 第44回現代童画展 新人賞(東京都美術館)
2018 第6回MVW展 福屋八丁堀本店
2019 金銀箔展 阪神梅田本店
2019 新緑のアートフェア 五大陸五つの色 ヒルトピアアートスクウェア
2019 アート関ヶ原ー大坂夏の陣ー 阪神梅田本店
2019 第45回現代童画展 会友推挙(東京都美術館)
2020 京都芸術大学通信教育部日本画コース 卒業
2020 イレブンガールズアートコレクション展 阪神梅田本店
2020 イレブンガールズアートコレクション展 福屋八丁堀本店
2020 第46回現代童画展 会友奨励賞(東京都美術館)
2021 大EGC展 ヒルトピアアートスクウェア
2021 NEXT GENERATIONS展 福屋広島駅前店
2021 第46回現代童画展 会友奨励賞(東京都美術館)
2022 全員集合!寅ねこ展 伊勢丹浦和店
2022 イレブンガールズアートコレクション展 福屋八丁堀本店
2022 大EGC展 阪神梅田本店

     

作品解説 斎藤理絵の日本画『どす鯉』

『どす鯉』
斎藤理絵 SM号 日本画

  

    『俎板(まないた)の鯉』という諺(ことわざ)は、相手に運命を委ねるしかない状態を意味する。そんな運命共同体の鯉同士が俎板の上で相撲を取っている。結局争ったところで他者に運命を委ねるしかないやるせなさ。しかし鯉たちが一瞬見せるささやかな、でもヤケクソの闘争心は生きるものの本性だ。

    どこか現実の社会や私達自身を描いているかのような深い問い掛けを持った作品だ。それなのにユーモアたっぷりに描かれていて、そのギャップが却って本質に迫る迫力となっている。

     このユーモアが斎藤理絵の特長だ。混迷する時代にはこの本質を突くユーモアが時代を切り拓く突破口になるのかもしれない。

    非力なヒレで突き出しを見せる紅白錦鯉は口元を『うん!』と踏ん張っている。その突っ張りに「あ~!」と声をあげる真鯉。

    『阿吽(あうん)』は万物の始まりと終わりを表現する語で金剛力士像や風神雷神図にも用いられている。伝統的な表現を引用しながら、現代的で垢ぬけた作品を描いてみせる作者に、今後も期待を抱かずにおれない。

     (作品解説・福福堂編集部)

斎藤理絵さんの展覧会情報

斎藤理絵 日本画展 ~竜宮遊園地~
2023年11月29日(水)~12月5日(火)
※最終日は午後6時30分閉場
伊勢丹浦和展6階 ザ・ステージ#6 アート
入場無料

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