画家 若菜由三香さん インタビュー〈前編〉

 画家の若菜由三香さんに福福堂の編集部がインタビューをしました。先生には長いお付き合いをしていただいておりますが、福福堂編集部の皆も知らなかったことがたくさんありました!それでは、画家・若菜由三香さんのインタービューをお楽しみください。

→インタビュー〈後編〉はこちら

画家 若菜由三香さん インタビュー〈前編〉

絵との出会いは『うる星やつら』のラムちゃん

――今日はインタビューよろしくお願いします。さっそくですが若菜先生と『絵』との出会いについてお聞かせください。

 今日はよろしくお願いします。

 私が『絵』と出会ったのはまだ保育所に通っていた小さい頃です。兄と一緒にファミコンの中古屋さんへ行ったんです。そこにアニメ『うる星やつら』のゲームが置いてありました。そのパッケージに描かれていたラムちゃん(註 漫画・アニメ『うる星やつら(高橋留美子作・1978-1987)』のヒロイン。鬼型宇宙人の娘。言葉の語尾に『~だっちゃ』とつけて話す)がすごく可愛かったんです。『こんな可愛い女の子を描きたい!』と思ったのが私と『絵』との出会いでした。

小学生時代の若菜さん。友達の家でお絵かき。

――アニメから『絵』に興味を持ったのですね。その頃からもう絵は上手だったんでしょうか?

 どうでしょう。最初の絵は真似から入りました。小学校に上がってもずっと女の子の絵を描き続けていましたね。授業中も描いていました(笑)

 友達から『絵が上手い!』と言われてまんざらでもなかったことを覚えています。

どこへ出かけるにも犬と一緒だった少女時代

――画家にはその頃からなりたいと思っていたのですか?

 小学校4年生くらい頃に、学校創立何周年かの記念文集が出ることになりました。その文集に『画家になりたい』と書いたことを覚えています。でもまだそのころは画家という職業が何なのかよく解ってはいなかったですね。『ずっと絵を描いていたい!』という純粋な気持ちだけで『画家になりたい』と書いたんだと思います。

将来の夢は『画家になりたい』

イメージと違った美術部 音楽を選んだ中学・高校時代

――中・高校時代は美術部だったのでしょうか?

 中学入学と同時に熱い気持ちで『一生懸命”美術”をやりたい!』と思って美術部に入りました。でも美術部は油絵などを描く美術でなく、同人誌やアニメを描くことが中心のゆるゆるっとした部活動だったんです。

 「あら…どうしよう…」

 そう思った時に隣の教室では熱血な感じで吹奏楽部が演奏していたんです。それで吹奏楽部に入り直してしまいました。

――ええっ? ということはその後、絵から離れてしまったのでしょうか?

 中学・高校生の頃は部活で音楽をやっていました。その一方で、文化祭のポスターを描いたりする機会はあったりしました。絵を描くこと自体はずっと好きだったんです。

 でもやっぱり、美術の授業以外では絵を描く機会は少なかったですね。音楽に打ち込んでいた時間が多かったです。

先生と衝突「私は絵をやりたいんです!」

 高校2年生3年生にもなると進路について考えるようになります。私は美大ではなく文系の大学に進もうと考えました。『比較文化学』などに興味を持っていたからです。(註 比較文化学:各地の文化や生活様式を分析し比較の観点から研究する学問。)自分のふるさと以外の様々な地域の暮らしや文化を知りたいと感じていたのかもしれません。今も旅が好きです。それで『比較文化学』などの勉強をしたいなと考えるようになっていったんです。

――そうなのですね。絵の道に戻ったきっかけは何だったのでしょう?

 文系に進もうと思っていた高校3年生の私は大学受験のため予備校へ通っていました。

 そのときに進路相談のカウンセリングのようなものを受けるんですよ。その時に何かのきっかけで

「私は絵をやりたいんです!」

と私が言ったんです。それから進路指導の先生と言い争いみたいになってしまって…(笑)気がつくと泣きながら予備校を辞める宣言していました。

 せっかく親から予備校のお金を出してもらったのに夏期講習で辞めてしまいました。

――絵描きになりたい想いを抑えていたんでしょうか、ずっと。

 文系の大学に行くつもりで夏期講習まで通いましたが、大学卒業後の姿が想像できなかったんです。自分のしたいことは本当はなんだろうと考えると絵を描くことだと気づいたのでした。

 絵を描く仕事って漠然としてはいますが、それでもなんとか生きていきたいという気持ちがカウンセリングの時に噴出したみたいです。

美大受験での挫折から現代アートの道へ

 それから美大受験の予備校へ見学に行き、秋から通い始めました。今まで美術部にも入っていなかったので、その時に初めて本格的にデッサンなどの基礎的な美術教育を受けることになりました。

 ところが秋に通い始めたものですからすぐ受験の日がきまてしまい、案の定落ちて1年浪人します。浪人時代は居酒屋でアルバイトなどしていました。浪人後は経済的に考えて国立の東京藝術大学(註 1887年創立。日本で唯一の国立の総合芸術大学。国内の美大では最高峰。)だけ目指しましたが落ちてしまいました。

美術予備校時代のデッサン

――そうだったのですね。それからどのような道を辿るのでしょう。

 藝大を落ちたあと、大学に行くのをやめようと思いました。大学に行かずに画家になる方法もあるはずだと考えました。そこで1年間だけ現代アートの勉強ができる学校へ通いました。

――現代アートの勉強をされていたんですね。今の作風から想像できず、少し意外でした。

 そうかもしれませんね(笑)

 美大受験予備校へ通ったのは1年と数ヶ月間でしたが繰り返し受験のための絵を描かされてきたものですから、その反動でしょうか。アカデミックでない作品を作りたくなっていました。

――現代アートはどんな作品を作っておられたのですか?

 インスタレーション(註 部屋など特定の空間に装置などを置きその空間を体験させる作品)などをやっていました。

 先生からは

「社会へのアイロニー(皮肉)を入れよう!」

と言われました。

 それで私は『不快害虫』をモチーフに『虫のお弁当』を作ったりとか缶拾いをしてコーヒー缶でローラーコースターを作ったりなどしていました。

 それも楽しかったのですが私本来は絵を描くことが好きだったので

 「なんか違うかなあ」

とは感じていたのですが。

 その学校では抽象画を学ぶ機会もありました。私は自宅にある父親の商売道具を使って、セメントや木枠を使って作品を作ったりもしていました。それらの作品は、自分は今でもどこか好きな感じがあります。

モルタルを使った作品

 そんな感じで1年間勉強して来て、

「美術はやっぱり辞めたほうがいいのかな」

などと一瞬頭をよぎったりもしていた頃、卒業制作のような形で展示をする機会がありました。

アルバイトの時代  そして少し見えた光明

 展覧会をしていたある日、世界堂(註 新宿にある画材屋さん)で画材を見ながら『これからどうしていったらよいのか・・』と思い悩んでいたら、その日在廊していた友人から

「画廊の人が連絡先を置いて行ったよ」

との連絡があったのです。

 そこがターニングポイントだったと思います。

 半企画展のような形で銀座の小さなギャラリーで個展を続けられることになりました。

 それからはアルバイトしながら、年に1度の個展を3年続けました。

    当時の展覧会パンフレット

――画廊さんとご縁ができたのですね。フアンが増えるまで画家生活は大変ですが、いろんなアルバイトをなさったのですね。

 はい。当時はコンビニ、警備員やフローリングの補修、チラシ配りや派遣など色々なアルバイトをしました。

 「3年間は個展をやる。それで先が見えなければどうするか考えないといけないな」

 と思いながらのバイト生活でした。

 個展でちょこっとだけ作品は売れました。でも画家生活が変わるようなものではありませんでした。

 そんな中で試行錯誤をしながら3年目の個展を迎えた時です。いちど素直に描いてみようと思って写実的な作品を2点だけ展示してみました。ボール紙を焦がして鉛筆デッサンで父の絵を描いたものと、もうひとつは母の絵を描いたものを。

焦がしたボール紙に鉛筆で描かかれた『父の肖像』

 すると来店したコレクターの方がそれを買ってくださったんです。

 最初は『父の絵』だけを買って持ち帰られました。

 すると後日また来店されて、

「お父様だけだと可愛そうだから~」

 と言って『母の絵』も買ってくださったんです。

 その時、私は作品を量販店の文房具コーナーで買ったような安い額縁に入れていました。

 するとそのコレクターさんが

「額はネ、いいのに入れたほうがいいヨ~」

 と教えてくださって。すごく覚えています。

感じた手ごたえ

――そんなことがあったんですね。なんだかとてもいい話です。

 銀座で3年間個展をしてみて、私なりに一番手応えを感じたのは、最後に売れた父と母の写実的な絵でした。

 私の展覧会に来てくれた予備校時代の友人たちが大学で学んでいる姿をみて『やっぱり大学に行ってみよう』と思い、武蔵野美術大学の通信教育課程で学ぶことにしました。

 23歳頃のことでした。

→インタビュー後編『まさかの理由で大学生活がピンチ』へ続きます


若菜由三香さんに聞く!『一日のルーティン』

『画家』っていったいどんな生活をしているんだろう?

編集部では若菜さんに『画家』の一日を聞いてみました。

普段はなかなか見ることのできない、

『画家』の或る一日を切り取ってみたいと思います。

6:00頃 起床

愛猫に起こされます。

猫のトイレ掃除やごはんをあげて朝のごあいさつ。

就寝遅かった日はまた寝ます。

7:00 朝食・お弁当用意・事務

朝食を食べ終わるとお昼のお弁当を用意します。

メールなどをチェック・事務など

9:00 庭・制作・外出

アトリエ周りの草取りしたり庭をみてから制作。

パネル作りや水貼りなど。

天気が良ければ少し自然や野鳥観察などもかねて             

散策したりもします。常に描きたい素材を探します。

他の画家さんの展覧会を見に出かけることも。     

天気の良い日は素材集めや野鳥観察。山へ散歩によく行くそうだ。

12:00 昼食など

気候のいい日は庭でお弁当食べるのがささやかな楽しみです。

朝は忙しいですが。

時間があれば好きな本を読んだり。

「外で食べるお弁当がすきです」と語る若菜さん。庭で遠足気分を楽しんでいるそうだ。

13:00 制作

途中コーヒーブレイクや犬猫と戯れたりもします。

16:30 犬の散歩、軽い運動など

画家は極端に運動量が少なく、

食と運動を軽視したことで体調不良が続いた経験から、

特に食事と運動はできる限り大切にしようと心がけています。

     

17:30 家事など

18:30 夕食

19:30 制作の続きや事務・情報収集・新作の構想など。

23:00 就寝

日によってかなり変動します。


プロフィール

若菜 由三香 YUMIKA WAKANA

経歴

1983
 千葉市出身
2004
 美學校  ゴージャラスニューポストモダン肉体塾・内海信彦絵画表現研究 修了
2011
 武蔵野美術大学造形学部通信教育課程油絵学科絵画コース卒業
2011-2012
 八ヶ岳山麓で生活

◆展示歴◆

2004
 「流々時空展」 文房堂ギャラリー (東京/神保町)
2010
 「New Years Selection 2011」 ギャラリーARTPOINT東京 (東京/銀座)
2012
 「4人展」 コートギャラリー国立 (東京/国立)
2014
 「絵画コース卒業生の現在展」 FAL(東京/小平)
 「第二回MVW ~若手男女12人が競演する師走の美術展」 福屋八丁堀本店 (広島)
2015
 「あふれる色彩」 ゆう画廊(東京/銀座)
 「GUAMS8 EXHIBITION」 ギャラリー丸美京屋(東京/浅草)
 「EGC」 阪神百貨店梅田本店 (大阪)
 「6SSF」 Gallery Camelia (東京/銀座)
 「林檎とオリーブ」 Gallery Camelia (東京/銀座)
2016
 「EGC」 福屋八丁堀本店 (広島)
 「EGCオールスターズ展」 東武百貨店池袋店(東京)
 「EGC×薫風vol.2」 松屋銀座マロニエ通り館 (東京)
 「うらわアートフェスタ」 伊勢丹浦和 (埼玉)
 「EGC」 後期日程 阪神百貨店梅田本店 (大阪)
 「イレブンバーズ展」 松屋銀座マロニエ通り館 (東京)
 「THE GIFT!」展 伊勢丹浦和(埼玉)
2017
 「EGC×薫風」展 東急たまプラーザ(神奈川)
 「EGC」 福屋八丁堀本店 (広島)
 「みどりを描く~5人の視点~」 伊勢丹松戸店 (千葉)
 「東急田園都市線27駅の絵画展~27車窓物語~」 東急たまプラーザ (神奈川)
 「いまここを生きるアーティスト2017」 ギャラリー枝香庵 (東京/銀座)
 「EGC」 前期日程 阪神百貨店梅田本店 (大阪)
2018
 「EGC」 福屋八丁堀本店 (広島)
 「家族の肖像」阪神百貨店梅田本店 (大阪)
 「若菜由三香×岩井綾女~光と風のインプレッション~」ちばぎんひまわりギャラリー(東京/日本橋)
 「気まぐれ猫街物語」松屋銀座(東京/銀座)
2019
 「花のあるアート展~ハマナスの咲く頃~」 伊勢丹浦和店(埼玉)
 「猫の展覧会」 Art Gallery山手(横浜)
 「アート関ヶ原」 阪神百貨店梅田本店 (大阪)
 「アート関ヶ原」 福屋八丁堀本店 (広島)
 「絵画と陶器のある暮らし」八ヶ岳倶楽部(山梨)
 「ART OSAKA」阪神百貨店梅田本店 (大阪)
2020
 「アートサファリパーク@ISETAN」新宿伊勢丹本店(東京)
2021
 「秘密の世界」伊勢丹浦和店(埼玉)
 「ザ・美術骨董ショー」東京プリンスホテル(東京)
 「いまここを生きるアーティスト2021」ギャラリー枝香庵 (東京/銀座)
 若菜由三香×邦子「絵画と陶器のある暮らし」八ヶ岳倶楽部(山梨)
 田村洋子×若菜由三香「柔らかな日常」大丸京都店(京都)
2022
 「全員集合!寅ねこ展」伊勢丹浦和店
 「秘密の世界」伊勢丹浦和店
 「ザ・美術骨董ショー」東京プリンスホテル(東京)
 「変奏曲を編む」丸善丸の内本店(東京)
 「大EGC展」阪神百貨店梅田本店 (大阪)

〈個展〉

2004
 個展「若菜由三香展」 銀座ギャラリーフォレスト(東京/銀座)
2005
 個展「若菜由三香展」 銀座ギャラリーフォレスト(東京/銀座)
2006
 個展「若菜由三香展」 銀座ギャラリーフォレスト(東京/銀座)
2017
 個展「若菜由三香 絵画展~ひかりのゆらめき~」 伊勢丹浦和店 (埼玉)
2018
 個展「若菜由三香 絵画展~ひかりの音~」東武百貨店船橋店(千葉)
2019
 個展「若菜由三香 絵画展~こもれびのなかで~」阪神百貨店梅田本店(大阪)
2020
 個展「若菜由三香 絵画展~ひかりの庭~」東武百貨店船橋店(千葉)
 個展「若菜由三香 絵画展~ひかりの雫~」阪神百貨店梅田本店(大阪)
2022
 個展「若菜由三香 絵画展~しあわせな時間~」東武百貨店船橋店(千葉)

◆受賞歴◆

2010
パリ国際サロン ドローイング・デッサン版画コンクール 入選 (パリ)
2011
二元展 一般佳作賞 (大阪)※巡回展(九州・愛知)
2012
雪梁舎フィレンツェ賞展 入選 (新潟)※巡回展(東京)
◆その他のお仕事(イラストレーションなど)◆
2016
「東京実用食堂」  日本文芸社  イラスト(表紙・カット)
「とらわれない発想法」  日本実業出版社  イラスト(カット)
2017
「暮らしの雑器とアクセサリー」 DMイラスト・デザイン
「最強のネーミング」  日本実業出版社 イラスト(カット)
2018
「名門高校青春グルメ」  辰巳出版     イラスト(カット)
(サライ.jp内記事に同イラスト掲載)
「世界に通用する「個性」の育て方」  日本実業出版社 イラスト(カット)
2019
NHK総合「にっぽんぐるり」 オープニングイラスト
その他インスタグラムアカウントイラストカット担当


作品解説

『雨音 ~紫陽花~』
若菜由三香
 F6 41cm×31.8cm
パステル・アクリル

 梅雨の季節、部屋をほんのりと照らしてくれるのは色の異なる紫陽花だ。

 紫陽花が画面中心からやや左側に重心を置くように描かれている。紫陽花は雨が好きだから、窓の方を向いて雨音に耳を傾けているのだろう。そんなことを想像させてくれる作者の巧みな演出が光る。

 雨音が続く部屋。湿度のあるしっとりとした季節。

部屋の中にいても人は自然と豊かに関わることができる。若菜由三香は絵画を通してそれを教えてくれる。

 晴れの日のやさしい木漏れ日が印象的な画家・若菜由三香だが、この作品では『雨』を描いてみせた。

 晴れと雨は対象的なモチーフだ。しかし対象的なモチーフを描こうとも若菜由三香らしさは変わらない。

(作品解説 福福堂)

若菜由三香さんの展覧会情報

2023年5月22日(水)~27日(月)
銀座三越 本館7階ギャラリー
〔最終日午後5時終了〕

※作家来場日:各日午前11時~午後5時 都合により変更になる場合がございます。予めご了承ください。

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