代表者あいさつ

福福堂を始めたきっかけ

2003年に有限会社 福福堂を立ち上げてから19年が経とうとしています。

 

私は子供の頃から絵が好きで、暇さえあれば落書きをしている子供でした。父が小さな会社を立ち上げたばかりで事業資金に窮しており決して裕福ではない子供時代でしたが、父が時折買ってくる絵がいつも身近にあり、絵があるのが当たり前の環境で育ちました。父自身、超貧乏家庭出身でしたが父の兄弟は皆、絵の収集をしておりましたし、母方の親戚は絵を描く人が多かったです。

 

 中学では美術クラブに入り、時には部長として皆と協力しながら何かを作るという、その行為に喜びを感じておりました。そして将来を考える年になった頃、漠然と美大に進学したいという気持ちになりました。憧れだった従姉が美大に進み猛然と制作していたこともあります。しかし世間の荒波を知っている両親はそれを認めてくれず、大学は親の薦めもあり「食える道」ということで会計学を専攻しました。

 

18歳で地元から上京する際に、「好きな絵を一枚持って行ってよい」と言われ、お気に入りの版画を一枚引っ越し荷物に入れて一人暮らしを始めました。右も左も分からない都会生活でしたがアパートに戻るとその版画が迎えてくれ、その狭い部屋が自分の「Home」である気がしました。卒業後は、会計や税務の世界で心身を擦り減らし朝から晩まで働く日々が続きました。気が向いた時にはボーナスで有名作家の版画等を買い部屋に飾っては楽しんでおりましたが、作家さんというものはその時の自分からは遠い存在でした。

 

35歳のとき様々な偶然や運が重なり、代々木上原で小さなギャラリーを始めることになってしまいました。父が30代で独立したのを見て育っていたし、自分自身、会計事務所で会社の設立や法的手続きに関わった経験もありましたので、会社を興すこと自体は自然な流れでしたが、ギャラリー開設には特に志があったわけではなく、軽く不動産賃貸の一環として始めた貸画廊ビジネスのつもりだったのです。

 

ガラス細工の宇宙人たち

しかし開業して間もない頃、ギャラリーで出会った若い作家さんたちが私の運命を変えました。

彼らは私が17年間いた会計の世界にはいない人たちだったのです。ガラスで出来た宇宙人みたいでした。

名刺も持たない、領収書は金銭を受け取った側が発行するのだということも知らない、とても純粋で悪意のかけらもなく、表現したいことについて照れながら熱く語る異星人たち・・・・。35歳まで外資や日本系企業で働き、組織社会や人の嫌な面を見過ぎて汚れてしまった自分には言葉にもできないほどの衝撃でした。「この子たちをお客様にするのではなく、この子たちを守るビジネスにしなくてはいけないのだ」そのように考えてからギャラリーの業態を企画中心に変えました。軽い気持ちで始めたこの事業に、いつしか私はどっぷりと浸かってしまっていたのです。

 

開業した翌々年には作家さんからの紹介で百貨店のお仕事を出来ることになり、以来百貨店美術画廊でも展覧会を開催することになりました。当時、百貨店の美術画廊はなかなか若い作家が展示できる場所ではなく、「ある程度名前が通った画家さんをお願いします。」と言われてしまうような状態でしたが、若い作家を全力でプロモートしているうちに、段々周囲の目も変わってきました。そして2010年には、今の若手作家ブームの魁となるような公募展「アールデビュタントURAWA」を実施いたしました。これは30歳以下の若手を百貨店美術と画商で育てていこうという試みで、新聞社も協力してくださり2016年まで続きました。この公募展から輩出した現在の人気作家は多数おります。

 

また2007年からは、画家として生計を立てておられる講師がファシリテートする「作家自身によるアートマネジメント」をテーマにした勉強会をスタートし、2019年にその役目を終えるまで、「一生画家として描き続けるということを模索する場」として延べ200名以上の作家が参加してくださいました。

 

2019年からは、百貨店の美術画廊での企画展示に加え、ヒルトン東京(西新宿)の地下にあるギャラリー、ヒルトピアアートスクエアの運営受託事業を開始し、そこでも年に数本の企画展を開催しております。代々木上原の小さなギャラリーは2014年にクローズしましたが、ギャラリー上原という名前は今でも通称として使っております。

 

 

福福堂の特色

「画商は作家から搾取している」と言われることがありますが、それは福福堂には当てはまりません。

作家は霞を食べて生きているわけではないので、百貨店で美術展をする際においても出来る限り業界最高クラスのパーセンテージを作家さんにお支払いすることをモットーにしています。

 

また展覧会開催のための経費をかけその元が取れなくても、その作家のためになると思えば実施することが多々あります。

そのため開業以来赤字が続いて、私の長年の貯金がだいぶ減りましたが、最近ようやく黒字になって参りました。

 

この業態はいったい何だろうと自問した結果、福福堂は画商というよりも作家さんを応援する美術部のマネージャー的存在なのではないかという結論に達しました。展覧会も作家さんに現場に詰めてもらい、共に創り上げていくスタイルです。

 

来年20周年を迎えるにあたって

私がこの仕事に携わってから19年の間に、作家を取り巻く環境はずいぶんと変わってきました。

お客様も「名前」に拘らず「作品」に惹かれて購入してくださる方が増え、作品が多様性を持った、よりパーソナルな価値を持つものに変化してきたのではないかと感じます。

 

これからはよりグローバルな作品の露出も目指して、新しい戦略を取り入れていこうと企んでおります。

 

私自身は、昔も今も変わらず自分自身を、画商というよりも美術部のマネージャーと思い続けておりますので、どうぞ今後も改めてよろしくお願いいたします。

  

来年20周年を迎えるにあたり、これまで支えてくださったお客様や作家さんたち、美術関係者の方々、そしてスタッフに心より感謝いたします。

 

有限会社 福福堂 代表取締役 岡村晶子