部屋に咲く花 by 齋藤悠紀

 薔薇の花を部屋の中でも眺めようと思い立ち外に出て枝をちょきちょき。手袋なし。道ゆく犬連れの婦人から棘は大丈夫なのかと心配されました。
 想像以上にぷすりぷすりと刺さってくる。使用目的が明確な道具のような機能美を宿している棘は深めに指に食い込むと抉りこむように薄皮の下に滑り込んできます。
 生き延びる薔薇の本能を断絶する痛み。に懲りたので多分次回は手袋をします。本能対頭脳。

 

 

コップを出してきてひょいと投げ入れてみると気に入るのと気に入らないのが出てきます。取ってきてそのままそこに置くだけでいいと思ったのですが、実際にそうするとそうしたという感じは出にくく何か不自然で気持ちが悪い。少し手を入れた方が生きた感じが出てくるよう。
 そりゃあ切るっていう行為自体が不自然なのだから、もう一度自然をつくり直すのは当たり前かと気付く。目の前にあるのは薔薇ではなく薔薇の死骸なのだと考えを改めます。だから並べただけだと死んで見えてしまうのですね。
 事実は小説より奇なりとは言うものの良いフィクションは現実よりもずっとリアリティを感じさせます。ドラマツルギーが響いていれば後は受け取る人の世界がどれくらい広いか深いかによって響き方が変わるわけですね。
 現実を超えたリアリティの獲得の秘密は「人間が受け手である」ということに起因するのではないでしょうか。

足し算引き算しながらふと気づくとデッサンをやる時に近い感覚を使っている。でもだんだん自分のデッサンの癖のようなものも見えてきて嫌になったところでやめる。5~6個作り部屋の色んな場所に置いてみてひとまず満足。

 目の前の素材の制約と偶発性に遊びながらしばらくゆらゆら触る。こうしようかなと自分の意志を潜り込ませ、ここでいじるのをやめようと決める。作品制作と同じ。なかんずくドローイングに近いと思います。入れ物や飾る場所によって見え方が変わるのも額や展示空間のよう。
 作品よりも早く形が変わっていくことと、いじり途中にこちらの意志が介在するタイミングと入り方が少し違う気がしましたが、絵は今まで何枚か描いてきたけれど花はあまりいじらなかったから逆算できないのでしょう。でもその分新鮮で面白いから気が向いたらまたやろう。

 

 

 最初はちょっと花を部屋に置いてみるかという単純な気持ちから生け花も始まったのでしょうが、師弟関係とか○○流とか大々的になってくるともうちょっと重苦しくて苦手です。部屋に花置くのに誰が偉い偉くないもないだろ~自分が気に入りゃあいいじゃない!と言いたくなりそう。破門でしょうね。
 ただ理由は分からないけどこれはかなりかっこいいなって感じる生け花はたまに見かけます。さりげないけれど原始的な力強さがあり、周りの空間を緊張させるような凛とした爽やかな存在感があります。

 それが「自然」でしょ。ってことなのかもしれませんね。

 

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